世界的名声を手にした夜に流した涙の理由
万国宗教会議でのスタンディングオベーション
1893年、アメリカのシカゴで万国宗教会議が開かれました。
世界各国から各宗教の指導者が一堂に会し、演説を行うイベントです。
大々的に開催された会議で多数の観衆が詰めかけました。しかし会場の空気はしらけていました。
というのも、すべての演説者が自身の信奉する宗教の優位性を語ることに終始していたからです。
ヴィヴェーカーナンダの演説順は最後でした。
「アメリカの兄弟姉妹の皆さん!」
彼はこの言葉を最初に発しました。
その瞬間、観衆は一斉に立ち上がり歓声を上げました。
スタンディングオベーションは数分間鳴り止まなかったそうです。
演説の内容も秀逸で、それまでの参加者とは真逆の内容、つまり『すべての宗教は道は違えど同じゴールへとつながっている』というものでした。
演説の内容の素晴らしさからヴィヴェーカーナンダは「万国宗教会議で最も重要な人物」として主要な新聞に取り上げられました。
名声を手にした夜
ヴィヴェーカーナンダが万国宗教会議で成功したことにより、彼は世界中に名が知られました。
世界的名声を手にしたのだから、有頂天になっても不思議ではありませんがヴィヴェーカーナンダは違いました。
彼はこう感じました「私はもう二度と、誰にも知られずにインドを放浪することはできない。公の場での世界的な使命が始まったのだ。」と。
世界的な名声を手にしながらも彼には利己的な欲はありませんでした。
シカゴ社交界の最も裕福な人々の邸宅でのパーティーに招かれ、ヴィヴェーカーナンダは名誉ある客人として迎えられました。
彼は王族のようにもてなされ、彼の想像を超える豪華な部屋があてがわれたのですが、この素晴らしい環境の中で幸せを感じるどころか、惨めな気持ちになりました。
彼の心は常に、祖国インドのことを思っていたからです。
名声も、数え切れない賛同も、彼には何の価値もありませんでした。
豪華なもてなしを受けても、彼は昔と変わらず、インドの貧しい人々のことを考える出家僧であったのです。
万国宗教会議で成功を収めたその夜、ベッドに横たわったとき、彼は貧困にあえぐインドと、豊かなアメリカとの対比に圧倒されてしまいました。
インドの窮状を考えていると眠れなくなりました。羽毛のベッドが茨のベッドのように感じました。枕は彼の涙で濡れました。
彼は窓際に行き、暗闇を見つめながら、悲しみで気が遠くなりそうでした。やがて、感極まった彼は床に倒れ、
「聖なる母(カーリー女神)よ、我が祖国が貧しさに沈んでいるのに、私は名や名声に何の関心を持てばよいのでしょうか」
と叫びました。