男が惚れるスーパースターの壮絶な過去

2021 - 2022シーズンNBAプレーオフ。

ジミー・バトラー率いるマイアミ・ヒートは惜しくもボストン・セルティックスに破れましたが、ジミー・バトラーは歴史に残る活躍を残しました。
特にカンファレンスファイナル第6戦の47得点はまさに神がかっていましたね。
NBAプレーヤーとして不動の地位を確立した彼ですが、そのキャリアは順風満帆とは言えないものでした。

13歳でホームレスに

ジミーは13歳の時、母親に家を追い出されホームレスになりました。
実の母からかけられた最後の言葉は、

「あなたの顔が嫌い。出ていきなさい。」

蒸発した父と顔が似ていた、ということで実の母から家を追い出されるという壮絶な経験をします。
ジミーはそこから4年もの間、友人の家を転々しながらなんとか生き延びていました。

転機が訪れたのはジミーが高校3年の頃。
中学3年のジョーダン・レスリーは、近所にいる上手いバスケ選手だったジミーに興味を持っていました。
ある試合の後、ジョーダンは
「スリーポイント対決しよう。」
とジミーを誘います。
その後、2人はすぐに意気投合し友人になります。ジョーダンは彼を家に招待するようになりました。

レスリーの母のミッチェル・ランバートには、亡くなった夫との間に4人の子供がおり、現夫のレスリーには3人の子供がいたので、レスリー家には合計7人の子供がいました。
7人の子供を育てているため家計がとても厳しく、ジミーの分の食事を出してあげるのも大変。さらに、その頃ジミーは地元でも有名な問題児。
というわけで、夫は子供たちにジミーが家に泊まれるのは連続して1晩か2晩だけだ、と伝えました。

しかし、子供たちは1日ごとに代わる代わるジミーを招待しました。
毎晩違う子が「今夜私がジミーを招待する」という作戦を続けたのです。
最終的にミッチェルと夫が根負け。
子どもたちがそれほどまでにジミーを愛されているなら仕方ないと考え、彼にこれからずっと家にいてもいいと伝えました。

この瞬間、ジミーに家族ができました。
レスリー家に養子として引き取られたことで、それまでの不遇な生活が一変。
家族のサポートもあり、高校ではバスケチームのキャプテンに抜擢されました。
地元地区では、全高校生の中で1stチームに選出されるまでに成長しました。

後にジミーはレスリー家への感謝を述べています。

「彼らが俺を家族に迎え入れてくれたのは、バスケが上手かったからじゃない」
「彼女(レスリー家の母親)は、ただ俺を愛してくれたんだ。信じられないほどに」

ジミーは今でもレスリー家の母親のことを「お母さん」と呼んで慕っています。


短大からマーケット大への道のり

高校を卒業したバトラーは、バスケットボールのレベルが決して高くない短期大学に進学しました。
バスケ強豪大学からの誘いが来なかったのです。
並大抵の選手ならこの時点でNBAの道を諦めますが、ジミーはバスケを続けました。
短大では1年生でエースになり他の強豪大学のコーチたちもジミーに注目しはじめました。

そして数多くの強豪校からのスカウトが届きます。
マーケット大、ケンタッキー大、クレムソン大、ミシシッピー州立大、アイオワ州立大からオファーがありました。

新たな母になったレスリー家のミッチェルはその時のことをこう語っています。

「彼にはたくさんのオファーがあったけど、勉強もできるようにマーケット大を選びました。
彼には、バスケは長期的にみてうまくいかないかもしれないからマーケットに行くべきだとアドバイスしました。
何かあった時のためにも教育と学位は必要ですから」

ジミーにオファーを出したマーケット大のコーチであるバズ・ウィリアムスによると、
彼がジミーを見たのは、ジミーのチームメイトをスカウトしていた時だったそうです。
チームに1人、選手を追加する必要があったので、とりあえずジミーにオファーを出したようです。
ジミーは当初、バズから期待されていなかったのです。

バズはこう語っています。

「ジミーはテキサスで73位の選手だった。全国ではない。彼は認められていたわけではなかった。」

マーケット大での苦難と成長

ジミーはマーケット大に編入した当初、198cmほどで体重は約90kg
体格的に優れているとは言えない状態でした。
そんなジミーにバズは厳しく指導にあたります。
練習は激しく、いくら疲れていてもダッシュや守備などを完璧にやりきるまで終われなかったようです。
バスは『ジミーはいい選手になれる素質がある』と信じていたようで他の選手よりも特にジミーにはきつく指導していました。

バズは「ジミーほど厳しく指導した選手はいない。彼のバスケットボールキャリアで良い評価を与えられたことはなかったが、チームにはあらゆる角度から影響をあたえることができる」と語りました。

厳しい練習のために、ジミーは何度もバズにバスケットボールを辞めると伝えたそうです。
その度にチームメイトやアシスタント・コーチたちから説得させられ、思いとどまっていたそうです。

同時にバズは、ただ厳しいだけではなく過去を話さないジミーの信頼を少しづつ得ていく努力もしました。
ジミーは過去を話すことが嫌いで、自身の生い立ちについてあまり話すことはありませんでした。
それでも少しづつバズやチームメイトたちが自分のことを受け入れてくれて信頼関係を築くことができたからこそ、ジミーは厳しい練習に耐えられたのでしょう。

練習にも慣れると、ジミーは自分らしさを取り戻しました。
チームメイトがディフェンスをまじめにやらなかったり、パスを両手できちんと取らなかったりしたら「やわすぎる!」と厳しくあたっていました。
この時からジミーの競争心と負けん気の強さは他の選手たちを圧倒していたようです。
ブルズのフレッド・ホイバーグやシクサーズのブレット・ブラウン、そしてウルブスのカール・アンソニー・タウンズアンドリュー・ウィギンスとは性格が合わなかったことがわかる気がします。

またある時は、チームメイトとパーティーへ行って飲んだ次の日のフィジカルトレーニングでは、みんながヘロヘロなのに彼だけはきちんと走ったというエピソードも残っています。
チームメイトたちからは「実は水を飲んでいた」とか「ジミーは吐いたんだろう」とか言われたそうですが、ジミーは「オレは酒でエネルギーをもらったんだ」と返したそうです。

そんなジミーは相手チームのエースを守ることも多く、特にプロヴィデンスのマーション・ブルックスやコネチカット大のケンバ・ウォーカーに対する守備でNBAのスカウトから注目されるようになりました。
あるNBAスカウトはジミーのことを「バランスが良く、どのチームに入っても即戦力として使える」と評しています。
いよいよジミーのNBA入りが視野に入ってきました。

大学最後の試合

そして大学の最後の試合の夜がやって来ました。
ジミーがコートから出て行った時、ファンたちから声援を受けたのを見たレスリー家の母ミッシェルは泣きました。
高校時代はコーチも誰も彼のポテンシャルを信じませんでした。
それが今ではファンやチームが、私のジミーを応援してくれている・・・
ジミーのつらい時期を見てきたミッチェルにとって、チームからもファンたちからも受け入れられたジミーの姿は何よりも誇らしいものだったに違いありません。

「私はずっと泣いていました。その夜は完全にぼやけて見えていました」

とミッチェル。

「ジミーはいつも私たちが彼にやってきたことを言ってくれるけど、彼が私たちに与えてくれたこともあります。彼は私たちも変えてくれたんです。」


ジミーは常々、ミッチェルへの感謝を述べています。

「彼女は、僕が人として成長するのをを助けてくれた。愛しています。彼女が僕を産んでくれたと思っています。毎朝彼女と話します。私の家族、それが母ミッチェル・ランバートなんです。彼女は僕のお母さんなんです。」


ジミーは、大学バスケを通して中学から高校の頃にはなかった、自分を信じてくれる家族、チーム、コーチを得ました。
そして、それは激しい練習を乗り越えた先でやっと手にできたものだからこそ、ジミーにとって「激しさ」は自分をつくる大切な一部になのです。

NBAドラフト

ドラフト・コンバイン(NBAチームと面談し、5on5のゲームやシュート、ストレングス、アジリティーの練習に参加してアピールする場)では強い印象を残し、ポーツマス・インビテーショナルではMVPを獲得。
ドラフトの急上昇株として勢いが出てきました。
ドラフトでのスカウトやGMの評価は高かったそうです。
特にインタビューでは、ジミーが逆境を乗り越え続けてここまで登りつめた過去を知り、彼の偉大さを感じたGMもいました。

ドラフト当日、ジミーはテキサスに帰り、レスリー家で過ごしました。
そしてシカゴ・ブルズにドラフト30位指名されました。

実の母親から見放され、友人の家を泊まり歩き、高校の時にはまったく注目されなかった選手。
大学からのオファーもなく、それでもあきらめずに短大でバスケを続けたジミーバトラーが、とうとうNBA入りできたのです。

NBAスターとして

それからもジミーはハードワークを続けMIP受賞オールスター選出マックス契約などNBAプレーヤーとして成功し続けています。
2021 - 2022シーズンのNBAプレーオフでの活躍でNBAスター選手としての価値をさらに高めました。

最近のジミーにとっての幸運はマイアミ・ヒートとの出会いでしょう。
ジミーのすべてを受け入れてくれるチームに入団し、切磋琢磨できるチームメイトと高みを目指してハードワークしています。
きっとジミーにとってヒートは大切なものを見つけたマーケット大のような場所なのではないでしょうか。

ジミーのNBAキャリアはまだまだ続きます。
いつかマイアミ・ヒートでチャンピオンリングを獲得できればいいですね。

「俺には神に与えられた才能はない。俺は最高のシューターではない。最高のボールハンドラーでもない。トップクラスの身体能力があるわけでもない。一番速くもない。でも俺は闘う。俺は立ち向かう。俺は病的なレベルでタフだし、絶対に諦めない。それが俺の才能だ。俺は誰も恐れない。なにも俺を恐れさせることはできないんだ。」


イツワノ

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