自分の感情に打ち勝つ強さ
母、有人宇宙機開発エンジニア、そして宇宙飛行士。
2010年、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、物資移送作業全体の取りまとめや、ISSのロボットアームの操作などを担当した山崎直子さん。
母としての日常をこなしながら宇宙飛行士としての訓練を続け「子どもたちに宇宙の素晴らしさを伝えたい」という夢を叶えました。
そんな山崎さんの宇宙への道のりには様々な困難がありました。
先が見えない不安、仲間の死
訓練すればいつかは宇宙にいける。そんな保証はありません。
山崎さんは当時の状況をこう語ります。
訓練しても実際に宇宙に行ける保証は全くないわけです。ゴールの見えない中でずっとマラソンを続けているような日々でしたね。
それでも最初の数年はまだ良かったのですが、これが4年、5年と経ってくると、本当に宇宙に行けるのだろうか、訓練を続けていて意味があるのだろうか、という不安が頭をもたげてくるようになりました。
特に4年目の2003年、スペースシャトルコロンビア号が空中分解する大きな事故が起きて、宇宙計画自体が不透明になってしまったんです。
この事故では一緒に訓練をしていた仲間7人が亡くなったこともあって、しばらくは呆然としていました。
私は長女を出産した後で育児休暇中でしたが、保育園入園も決まってそろそろ訓練に復帰しようか、と思っていた矢先の大事故でした。
アメリカの宇宙船が飛べないということで訓練計画も大きく変わりましたね。
私は長女を日本に残して、急遽ロシアに行き、さらにアメリカに移って訓練を続けたんです。
飛べるのかな、飛べないのかなあと思いながら、それでも訓練だけは重ねていきました。
このように自分の力だけではどうしようもない壁に直面したときに励まされ、支えになったのは、山崎さんの高校時代の担任の先生だった小野寺恭子さんが紹介してくれたある言葉だったそうです。
20世紀のアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーが1943年、小さな教会で説教したときの祈りの言葉です。
神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
山崎さんは高校時代、この言葉をたまたま日記に書き残していて、大人になってそれを読み返した時、大きな力をもらったそうです。
今自分ができること、変えられることが何かあるはずで、それをやっていくことで一歩一歩 道に近づいていけるのかなと思えたそう。
実際、他の宇宙飛行士から「お前たち(山崎さんのチーム)が訓練するスペースシャトルは飛ばないよ」と何度も言われてきたそうです。
しかし、飛べるチャンスが1%でもあるかもしれないと信じてやってきたんです。
と山崎さん。
ロシアでのサバイバル訓練の時などによく言われたのですが、何かをやり続けようと思う場合、1番のネックになるのは自分の感情だと言うんです。
壁にぶつかって「嫌だ」「できるわけない」と思っても、いざやってみたら結構やり遂げられたりする。だから大切なのはまず自分の中の感情に打ち勝つこと
だと。
そして、山崎さんは自分の感情の弱さに打ち勝ち訓練を続け、子供の頃からの夢を実現できたのでした。