パニック障害を克服できた原動力

芥川賞作家の苦悩

『螢川』で第78回芥川賞を受賞。その後もコンスタントに作品を重ね、作家としての地位を不動のものにした宮本輝さん。
意外と知られていませんが、彼には持病がありました。パニック障害です。

大学卒業後、コピーライターとして就職しましたがパニック障害によりサラリーマンとしてのキャリアに強い不安を感じます。
一念発起して独立、小説家としての活動を始めました。

パニック障害を克服できた原動力

当時を振り返り、宮本さんは語ります

小説を書いている間、パニック障害はしょっちゅう起こっていました。
なので、もう一生治らんのかなあと思っていました。30代半ばに、ものすごく発作がきつくなって、白いものと先の尖ったものに恐怖を感じるようになったんです。原稿用紙、白いでしょう。万年筆、先が尖っているでしょう。もう仕事にならないんですよ。


それで知り合いの紹介で京都の精神科医に診てもらった。その方は僕の状態を気遣って、わざわざ往診してくれたんです。
僕の子供時代の頃から一番悲しかった出来事、あるいは家庭の環境、いろんなことを聞いてくれて、結論は「典型的な不安神経症です」と。
で「モーツァルトもアインシュタインもそうでした」と天才の名前ばっかり出てくる。「これは天才がかかる病気です」と。「だから、これが治ったら、宮本さんは小説書けなくなります。」「だけど症状が起こった時は辛いですから、その時はこの薬を飲んでください」と言ってもらったのが、最初に会社の診療所の医師から処方された薬と同じものだったんです。

そんな悲惨な日々でしたが、とうとうパニック障害を克服します。

パニック障害が治ったなと自覚したのは62歳か63歳の時ですね。だから、30年近く付き合ってきたわけです。
どうして自分がこんな病気にかかったのか。小学生でも1人で電車に乗っているのに、いい年して乗れない情けなさ。
それから一日に何回、私の恐怖を感じるか、それが何十年続いてきたか。
毎日、死というものに直面していると、なぜ五歳で死ぬ人と百歳まで生きる人がいるのか、その違いは何なのか、という死生観に行き着く。
それが小説を書く上での土台を作ったと思います。

パニック障害という難病を克服できた原動力は何だったのか。

発作が起きるとわかっていて電車に乗るのってものすごく勇気が要りますよ。
その勇気はどこから出てくると思います? 自然には出てきませんよ。自分の心から絞り出してくるんですよ。
そうすると心の力の凄さを自覚せざるを得ない。心の力がすべてを変えていくんです。

自らの心の力を振り絞り、パニック障害に打ち勝った氏。
その体験から人間、という生物の底知れないポテンシャルを感じます。そして氏はパニック障害こそが自信の創作の原動力であったと語ります。

それと、悪いことが起こるのは思いがけない良いことが訪れるために必要な前段階なんです。一つの山の頂上からさらに高い山へ登る時に、直線の道は無いですから、一旦その山を降りなければなりません。ただ、降りることがどれほど辛いことか、頂上にいるときには分からないんですよ。想像を絶したものがある。
だけど、 そこで、のたうち回りながらも乗り越えて、また麓から山頂にたどり着いた時に、やっぱり最初の時とは違う大きな境涯が培われていると思うんですよ。

いっぺん、谷へ降りないと、次の峰にはいけない。これは道理であり、僕の命そのものが感じたことですね。

イツワノ

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