私が成功した理由は人に使われやすかったから

和食料理人、道場六三郎さん。
人気テレビ番組『料理の鉄人』の『和の鉄人』として非常に有名な方です。
そんな道場さんの下積み時代の逸話をご紹介します。

料理の道へ

ある時、近所の魚屋の親父さんが病気にかかり、手伝ってほしいと若き道場さんに声がかかります。
子供の頃から家業を手伝っていました道場さん。しかし、活発だった道場さんには一切ホコリを立てずにずっと座って作業する家業が性に合わず、元気の良い魚屋に憧れて働き始めました。17歳のときのことです。
魚屋といってもただ魚を売るだけではありません。仕出しもしていたため、魚をおろして刺身にしたり串焼きにしたりと、見よう見まねで包丁を使っていきました。
2年が経った頃、仕入先の旅館のチーフから「六ちゃん、早く手に職をつけたほうがいいよ」との助言を受け、道場さんは料理人になれば食べるのには困らないだろうと思い、本格的に料理の世界に身を投じる決意をしました。

両親からの教え

地元の調理師会の会長さんに頼んで紹介状を書いてもらい、その方の弟分が経営する東京・銀座の「くろかべ」という日本料理店で働くことになりました。
道場さんの母親は、周りから嫌われたりいじめにあったりすることが一番心配だったのでしょう、家を出る道場さんに「六ちゃん、人に可愛がってもらえるようにせないかん」と声をかけてくれたそうです。
実際、道場さんがくろかべに行った一年余りの間、店の親父さんや先輩、お客様からずいぶん可愛がられましたが、それはひとえに両親の教育のおかげだと道場さんは振り返ります。

道場さんの両親は浄土真宗の信仰に厚く、ことあるごとに礼儀作法人としての生き方を説いてくれました。
「両親から受けた教えの数々は、紛れもなく私の財産となっています。」と道場さん。
ご両親からかけられた言葉をご紹介します。

「何もわからないうちは我を出してはいけない。」


「鴨居と障子がうまく組み合わさってスムーズに開け閉めができる。それが合わなくなれば障子の枠を削る。上の構えを削る人はいない。 だから、鴨居がお店のご主人で、六ちゃんは障子。我を削っていくのが道理と言うもんだよ。」


「親や先生のいる前では真面目にやって、見ていないと手を抜く人がいるけど、とにかく神仏は全部見てござる。だから、陰日向があってはいけない。どんな時も一生懸命やらなきゃいけないよ。」

実践の日々

これらの言葉に従って、道場さんは修行しました。
朝一番に店に来て、先輩の白衣と靴を用意しておいたり、ボロボロになった高下駄を修繕したり、あるいは親父さんから「ガス台が汚いからきれいにしろ」と言われれば、翌朝4時まで徹底的に磨いてピカピカにしたり。
どうやったら親父さんや先輩が喜んでくれるかということを常に考えて身を粉にして仕事に打ち込みました。
そうやっていると、思いがけず先輩が料理のレシピノートを見せてくれたり、新しい仕事を回してくれるようになり、どんどん仕事の腕を磨くことができたのです。

上の人から「あれをやれ、これをやれ」と言ってもらえる存在になれば、様々な仕事を経験でき、使われながらにして引き上げてもらうことができる。

ゆえに、仕事をする上で最も大事なのは可愛がられる人間、使われやすい人間になることに他なりません、と道場さんは語ります。

イツワノ

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