コービー・ブライアントが18歳で4本連続エアボール|屈辱を「転機」に変えた夜
5度のNBAチャンピオンに輝いたコービー・ブライアント。そんな彼のキャリアに「転機」として刻まれているのが、新人時代の苦い夜です。
1997年、ユタでの第5戦
1997年5月12日、西カンファレンス準決勝のレイカーズ対ジャズ、第5戦。シリーズ1勝3敗と追い込まれたレイカーズは、敵地ユタで延長戦に入ります。この日のコービーは18歳のルーキーでした。
シャキール・オニールが退場し、頼れる選手が欠けるなか、ボールはコービーの手に託されます。ところが、レギュレーション終了間際の14フィートのシュート、そして延長戦の3ポイントを3本、合計4本がリングにも届かないエアボールでした。レイカーズは98対93で敗れ、シリーズ敗退。ロサンゼルス・タイムズ紙は、延長戦で3本の3ポイントがエアボールだったと伝えています。
この試合、オニールは23得点13リバウンドでしたが6ファウルで退場。ジャズはカール・マローンが32得点20リバウンドと、経験の差が際立つ試合でした。
「あれは転機だった」
当時のGMだったジェリー・ウェストは、後年こう振り返っています。
「あれが彼のキャリアを決定づけた瞬間だったと思う。彼が偉大さへ向かう後押しになった。失敗を許さない男になったんだ」(意訳)
コービー本人も2016年、現役最終シーズンにこの夜を振り返っています。
「あれは私にとって早い段階の転機だった。18歳で、根性を試される時だった。今は懐かしく振り返れるが、当時は惨めだった」(意訳)
「あの経験が私をつくった。若い選手は気づきにくいが、それを原動力にすれば報われる」(意訳)
帰ってすぐにジムへ
報道によると、コービーはチームがロサンゼルスに戻るとすぐに体育館へ向かい、朝日がのぼるまでシュートを打ち続けたといいます。オフシーズンも同じように、ジムで過ごす時間を増やして、二度と繰り返さないために努力を重ねました。
失敗を恥じるより、失敗を原動力にする
のちに世界屈指の得点力を誇るスーパースターとなったコービー。その土台には、最大の屈辱を、努力の燃料に変えた18歳の夜があったのです。




