山崎直子さんが宇宙飛行士を目指したきっかけ|チャレンジャー号事故と「先生」の夢
2010年にスペースシャトル「ディスカバリー号」で宇宙へ飛び立った山崎直子さん。最初から宇宙飛行士を目指していたわけではなく、あるニュースとの出会いが人生を変えました。
宇宙は好き、でも夢はまだ「先生」
山崎さんが宇宙に興味を持ったのは、小学生のころです。札幌に住んでいたころ、家族で「星を見る会」に参加して天体望遠鏡をのぞき、月のクレーターや星を見て「宇宙ってすごいなあ」と感じたといいます。千葉県松戸市に戻ってからも、兄とプラネタリウムに通い、アニメ「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」を見て、「大人になったらみんな宇宙に行けるんだろうな」と素朴に思っていました。
ただ、そのころの夢は、学校の先生やお花屋さん。宇宙飛行士は、まだ遠い存在でした。
1986年1月28日、チャレンジャー号の事故
転機は、中学3年生のときに訪れました。テレビで見た、スペースシャトル「チャレンジャー号」の打ち上げと事故のニュースです。搭乗員のなかには、クリスタ・マコーリフさんという高校の教師がいました。宇宙から授業を行う計画で注目されていた人です。
山崎さんはインタビューで、こう振り返っています。
「宇宙飛行士という存在を知ったのは、中学校3年生のときにテレビで見た、スペースシャトル、チャレンジャー事故の悲しいニュースでした。そこで初めて、『宇宙』と『宇宙飛行士』がつながったのです」
憧れていた「先生」と「宇宙」が一つにつながったことに、山崎さんは驚きました。そして、亡くなった人たちの思いを、自分が宇宙飛行士になって受け継げたら、と考えるようになります。
夢への長い道のり
山崎さんは、まず宇宙船を開発したいと考え、大学・大学院で航空工学や宇宙工学を学びました。宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に就職してISSの開発に携わり、1999年、宇宙飛行士候補者に選ばれます。アメリカ留学中の最初の応募は選考から外れ、二度目の挑戦での合格でした。そして2010年4月、事故のニュースから24年後に、ついにスペースシャトルで宇宙へ飛び立ちました。
悲しい事故の記憶を、「宇宙へ向かう決意」に変えた中学3年生
子どものころの小さな「好き」が、思いがけない出来事をきっかけに一生を懸ける夢へと変わる。山崎さんの歩みは、そんなふうに夢が生まれる瞬間を教えてくれます。



