野口清作はなぜ「英世」に改名したのか?『当世書生気質』の野々口精作との関係

野口英世は、生まれたときの名を「清作」といいました。なぜ「英世」と改名したのかについては、有名な逸話があります。

一冊の小説との出会い

1898年(明治31)の夏、野口清作は、恩師・小林栄の夫人の看病のため故郷の猪苗代に帰っていました。そのとき手にしたのが、坪内逍遙の小説『当世書生気質』です。作中には、自分の名前とそっくりな「野々口精作」という医学生が登場します。放蕩者として描かれるその人物に、自分が重ねて見られるのではないかと驚いた清作は、小林に相談しました。

恩師・小林栄が付けた名前

小林は後年の回想で、「英」の字は小林家代々の名の頭字で、すぐれたことを意味し、「世」は世界を意味する、と説明したといいます。

「医者の英雄になって、世界によい仕事をしろという事になるのだ」
(小林栄の回想の趣旨)

清作は「大いに奮励して名に負けないようにします」と応え、「英世」と改名しました。ただし戸籍上の改名には手続きが必要で、正式に認められたのは1899年(明治32)10月のことでした。

伝記の通説と、史実の違い

よく知られた伝記では、野々口精作は主人公で、将来を期待されながら堕落していく人物とされています。しかし、小説を調べた研究では、野々口は第6回にだけ登場する端役で(全20回)、最初から放蕩者として描かれているとの指摘があります。そもそも『当世書生気質』が書かれた1885〜86年、清作はまだ8、9歳の子どもで、名前が似ているのは単なる偶然でした。また、小林の回想も40年以上あとのものなので、細部の正確さには注意が必要だとされています。

名前の似た小説の登場人物を「自分への戒め」と受け止め、一生の名前を改めた

細部には諸説ありますが、野口が名前を改めて決意を新たにしたことは確かです。恩師の血脇守之助らの援助を受けながら医術開業試験に合格し、のちに世界で活躍する細菌学者となりました。名前に負けない人間になるという誓いが、その後の歩みを支えたのかもしれません。

参考

野口 英世の逸話一覧

イツワノ

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