聖徳太子は本当に10人の話を同時に聞けた?『日本書紀』の記述と諸説を検証
聖徳太子といえば、「10人の話を同時に聞き分けた」という超人エピソードを思い出す人が多いでしょう。ところが、原典にあたってみると、少し違った姿が見えてきます。
『日本書紀』にはこう書かれている
この逸話のもとになったのは、『日本書紀』推古天皇元年(593年)の条です。厩戸豊聡耳皇子(聖徳太子)が皇太子になったことを記したあと、次のように紹介されています。
「及壮、一聞十人訴、以勿失能辨、兼知未然」
大意は、「成人すると、十人の訴えを一度に聞いて、漏らさず的確に判断し、さらに先のことまで見通した」というものです。この「豊聡耳(とよとみみ)」という名前の由来として、十人の訴えを聞いたことが後世の文献でも語られました。
同じ条には、母の穴穂部間人皇女が宮中を巡っていて、馬官(馬の役所)の厩の前で急に出産した、という誕生の逸話も記されています。これが「厩戸」の名の由来とされています。
文献によって人数が違う
実は、聞き分けた人数は文献によってまちまちです。
- 『日本書紀』『日本霊異記』『三宝絵詞』:10人
- 『上宮聖徳法王帝説』『聖徳太子伝暦』など:8人(「八耳」という別名の由来)
- 『聖徳太子伝暦』:11歳のとき36人の子どもの話を聞き分けたという話
どれも平安時代までの伝記・説話で、同時に何人の話を理解できたのかを裏づける同時代の史料はありません。
実際はどういう意味だったのか
一説には、「ミミ」はもともと男性の尊称で、「耳」の字は当て字にすぎず、名前から「耳がよい」という伝説が生まれたと考えられています。また、実際には複数人の話を順番に聞き、あとでまとめて的確に答えたという解釈も有力です(いずれも諸説あり)。
大切なのは「同時に」ではなく「聞き漏らさず、的確に答えた」こと
十七条憲法の第17条には、「物事は独断せず、必ずみんなで議論するように」という趣旨の言葉があるとされます。人の意見をよく聞く為政者だったことが、この超人伝説を生んだのかもしれません。




