立川談志の名言「落語とは人間の業の肯定である」|忠臣蔵で語った落語の本質

毒舌で知られた落語家・立川談志さん。その落語論を一言で表したのが、「落語とは人間の業の肯定である」という言葉です。

「業の肯定」とはどういう意味か

談志さんは、著書『あなたも落語家になれる』(三一書房)のなかで、落語を「人間の業の肯定を前提とする一人芸」と説明しています。「業」とは、簡単にいえば人間の愚かさのことです。たとえば「酒の飲みすぎは体に悪い」と知りながらつい飲んでしまう。「どうせなら楽して儲けたい」と思う。道徳の教科書には載らない、こうした「人間の本音」を、落語は否定せずに笑いに変えます。

落語には、熊さん、八っつぁん、与太郎のように、憎めないけれどどこか抜けている人物が登場します。行き倒れの死体を「自分だ」と言い張って運ぼうとする「粗忽長屋」や、薄めた番茶を酒、たくあんを玉子焼きに見立てて花見をする「長屋の花見」など、その言動はばかばかしくも愛すべきものばかりです。

忠臣蔵で語った落語の見方

談志さんは、忠臣蔵を例にこう語っています。

「落語は違うのです。討ち入った四十七士はお呼びではないのです。逃げた残りの人たちが主題となるのです。そこには善も悪もありません。つまり、人間てなァ逃げるものなのです。そして、その方が多いのですヨ……。そしてその人たちにも人生があり、それなりに生きたのですヨ、とこういっているのです。こういう人間の業を肯定してしまうところに、落語の物凄さがあるのです」

(引用は、幻冬舎プラスに掲載された小泉十三さんの紹介記事による。一部省略あり)

英雄の物語ではなく、討ち入りから逃げてしまった人たちにも人生があると見つめるのが落語だ、というのです。

「人間は愚かでいい、それでも生きていていいんだ」と言ってくれるのが落語

紹介記事を書いた小泉十三さんは、毒舌のイメージとは裏腹に、実際の談志さんはサービス精神にあふれた心優しい人だったと振り返っています。立派でも強くもない人間をそのまま受け止める「業の肯定」は、人間への深い愛情の表れだったのかもしれません。

参考

立川談志の逸話一覧

イツワノ

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