ダーウィンは「鼻の形」でビーグル号への乗船を断られかけた?自伝に残る逸話

ビーグル号への誘い

チャールズ・ダーウィンがイギリス海軍の測量船ビーグル号で世界一周の航海に出たのは、1831年12月のこと。航海は1836年10月まで続き、この旅の観察が、のちの進化論の土台になりました。
ダーウィンは自伝の中で、この航海に参加できた経緯を振り返っています。父親は最初、猛反対。叔父の説得でようやく許しが出て、ケンブリッジ大学のヘンズロー教授、そして船長のフィッツロイに会いに行き、話はすぐにまとまったといいます。

実は「鼻」で落とされかけていた

ところが、のちにフィッツロイと親しくなってから、ダーウィンは驚きの事実を聞かされます。自伝には、こう書かれています(筆者訳)。

「あとで船長とごく親しくなってから聞いたのだが、私は鼻の形のせいで、あやうく不採用になるところだったのだ!
彼は(観相学者の)ラヴァーターの熱心な信奉者で、顔の輪郭から人の性格を判断できると信じていた。そして、私のような鼻の持ち主に、この航海に必要な精力と決意があるのかと疑ったのである。
しかし彼は、私の鼻が嘘をついていたと、のちに十分満足してくれたのではないかと思う。」

「私の鼻は嘘をついていた」

つまりフィッツロイ船長は、顔つきから性格を読み取る「観相学」を信じて、ダーウィンの鼻を見て「この男は5年に及ぶ航海に耐えられないのでは?」と心配したというわけです。
結果は周知のとおり。ダーウィンは過酷な航海をやり遂げ、人類の歴史に残る大発見をしました。鼻は見事に「嘘をついていた」ことになります。

ちなみに、船長とはケンカもしていた

自伝には、航海の早い時期にブラジルのバイーアで、フィッツロイと奴隷制をめぐって激しく口論したことも書かれています。船を降りなければならないかと思うほどでしたが、数時間後には船長のほうから謝罪の使いが来て、同居生活を続けることになったそうです。
気性が激しい船長と、2人きりで同じ船室に暮らす――そんな関係の中で、あの航海は進んでいたのです。

この逸話の注意点

この話の出どころは、ダーウィン自身が後年に書いた自伝です。ダーウィンが「あとから聞いた」話であり、フィッツロイ側の記録で裏付けられているわけではありません。
この記事では、フィッツロイ側の記録までは確認できていないため、船長が本当に鼻だけを理由に迷ったのかまでは断定できません。
「鼻のせいで落とされかけた」という話は、本人が語った興味深い逸話として楽しむのがよいでしょう。

参考

チャールズ・ダーウィンの逸話一覧

イツワノ

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