野口英世と母シカの手紙|「はやくきてくたされ」に込められた想い
母が息子に宛てた、たった一通の手紙
細菌学者として世界的な名声を得た野口英世は、1900年にアメリカへ渡ってから、故郷の福島県猪苗代町に帰っていませんでした。
そんな英世のもとに、渡米から十数年が経った1912年頃、母のシカから一通の手紙が届きます。この手紙は現在も残り、野口英世記念館で展示されています。
手紙に書かれていたこと
手紙は、会津弁の言葉遣いや当て字(たとえば「勉強」を「べん京」)が混じった、ひらがな中心の文章です。冒頭には、息子の成功を喜ぶ言葉がありました。
「おまイの。しせには。みなたまけました。」
(お前の出世には、皆、驚きました)
しかし、読み進めると、母の本心が伝わってきます。近所の人から借金の催促を受けて困っていること、春になると村の人たちが北海道に移住してしまい、心細いこと。そして、何度も繰り返される言葉があります。
「はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする」
(早く帰ってきてください。早く帰ってきてください。一生のお願いです。)
手紙には、毎月1日に塩断ちをして息子の無事を祈っていること、英世の写真をおしいただいて成功を祈っていることなども綴られています。最後は「いつ帰るか教えてください。返事を待っています。寝ても眠れません」という言葉で結ばれていました。
文字を書けなかった母
シカは幼い頃に文字を覚えはしたものの、その後はほとんど書く機会がありませんでした。後に英世は、母が字を書けるとは知らなかったと語っています。
シカは産婆(助産師)の免許制度ができた際、住職に頼み込んで読み書きを一から教えてもらい、国家試験に合格したといわれています。そんな母が、苦労して書いた手紙だったのです。
15年ぶりの再会
手紙を受け取った英世は、1915年に15年ぶりに日本へ帰国し、母との再会を果たしました。約2か月間の滞在中、英世は各地の講演会や歓迎会で忙しい日々を送りながら、母や恩師と一緒に旅行もしています。
この時、シカは英世と過ごす時間を「まるでおとぎの国にいるようだ」と語ったそうです。
英世は11月4日、横浜からニューヨークに戻りました。そしてその後、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。シカは1918年に亡くなっています。
学問で世界に名を残した英世の陰には、不自由な文字で「はやくきてくたされ」と書き続けた母の想いがありました。




