「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」は秀吉の句?三英傑のホトトギスの出典を検証
「鳴かぬなら殺してしまえ」「鳴かせてみせよう」「鳴くまで待とう」。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の性格を表す句として、あまりにも有名なホトトギスの三句です。ところで、これは本当に三人が詠んだ句なのでしょうか。
有名な三句
一般には次のように紹介されます。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)
鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス(家康)
秀吉の句は、知恵と工夫で相手を振り向かせる、秀吉らしさを表していると言われます。
最古の出典は江戸時代の随筆
国立国会図書館のレファレンス協同データベースによると、これらの句が文章として確認できる最も古い例は、根岸鎮衛の随筆『耳嚢(みみぶくろ)』巻八(1805年頃までに執筆)です。そこでは信長が「鳴ずんば殺して仕まへ郭公」、秀吉が「鳴かずとも啼せて聞ふほとゝぎす」、家康が「鳴ぬなら鳴時きかふ時鳥」と詠んだとされています。
ただし『耳嚢』自体も、「古い物語にあるのか、人が作ったものか知らないが」と断っています。さらに松浦静山の『甲子夜話』(1821〜1841年)には、現在の形に近い三句が登場します。そこには、ある人の言葉として「人の仮托に出る者ならんが」(誰かが三人に仮託してつくったものだろうが)と記されています。つまり当時から、本人の作とは考えられていなかったのです。
実際に詠んだという証拠はない
粕谷宏紀編『新編川柳大辞典』は、三将が詠んだとするのは誤りだと指摘しています。誰が最初につくったのかも、現在までに決定的な資料は見つかっていないと紹介されています。三人の性格を江戸時代の人々が仮託したものと考えるのが妥当でしょう(諸説あり)。
句は史実ではなく、後世の人が思い描いた「三英傑のイメージ」
それでも、江戸時代から200年以上も語り継がれてきたことは、三人の個性が人々の心にいかに強く残っていたかを物語っています。秀吉の「鳴かせてみせよう」は、事実ではなくても、彼の人柄を伝えるイメージとして愛されてきたのです。




